そういう時だった

出会いでも、別れでも
「そういう時だった」という言葉は
納得できることが多いです。


コヘレトの言葉の
「何事にも時がある」
という聖書の一節を知っていると
「そういう『時』だったのだな。」と
それなりに納得できるものです。
とはいえ、「時」が来るのを待つしかないというのは
結構辛い事です。


「時」しか解決できない事であれば、なおさら辛いのです。
自分の実力や、能力、才能、財力、環境などで解決できれば、
本当に楽です。自分が動けばいいのですから・・・。
ところが、「時」にしか解決できない問題は、
痛む「時」や、苦しい「時」、怒る「時」など、
非常に不快な感情を超えた先にしか「答え」がないことが
多いのです。
それらを超えないと穏やかな「時」は来なかったりします。


私の望む「時」はいつ来るのか?と
待ち望む時の自分には、
どす黒い感情が渦巻いていて、
醜くて仕方がなくて、嫌になります。


でも、この黒い感情や「嫌な時」に
エスは近づき、それに巻き込まれないように
手をさしのべてくれているように思うのです。
私が崩れないで生きて来れたのは、
間違いなく、時を待つ私と共に、神様がいてくれたから
だと思うのです。