一番いい話のところでおなかの調子が・・・

今日の説教の、一番おいしいところで、
おなかが痛くなりトイレへ・・・・


たぶん、話の最後は、私の予想では以下のとおりじゃないかと・・・。

一人で考えては聖書の意味を間違って解釈しちゃうよ、
だから、二人でも、三人でもイエス様を慕う人たちと
集まって話した方がいいってことだったんじゃないかって
思ってるんですが・・・。
教会に毎週来ようねっていう意味もこもってるかと思いますが・・・。

こういう落ちだったんじゃないですか??(笑)


でも、それって全てにおいていえるかな?
一人で考えて出した答えって、たいていどこかいびつで
無理がある。何も知らない他人に話すと
そんなのこうすればいいんじゃん!ってあっさり言われ、
「あっ、そうかぁ。」って・・・・。(笑)
それも、「あっ、そうかぁ・・・」って思えないときは、
人生が空回りしている時なんだよね。
でも、その空回りは、時間がたってみないと気がつけない・・・(^^;)。



聖書も一人で読んでると、都合のいい解釈しちゃうし
やはり、聖書についてほかの人と話すと、
「神様はこういってるんじゃないの?」
って言われて、
「あっ、そうかぁ・・・・。」って
急につき物が落ちたようにスッキリする。


人生のキーワードは「あっ、そうかぁ・・・。」
かなぁ・・・。それが、言えるということは、
別な視点や見方を受け入れる余裕があるという事。
それが、言えない時は、かなり余裕がないって事だね。