ありがとう

ありがとうって言葉は、看護師さんはよく言われます。
でも、急性期にいると患者さんはしゃべれないので
あまり言われません。


急性期では心に残る「ありがとう」が1回ありました。
確か、日記にも書きました。
そして、先日、心に残る「ありがとう」がありました。


ある癌の患者さんです。
その患者さんは助からないことを知ってます。
徐々に弱り、いつか死ぬことを分かってます。
今は歩けますし、食事も食べれます。
体重計を持ってベットサイドへ測りに行った時、少しお話しました。


そのときに看護の話をきく技法で
患者の言ったことを復唱するというものが
あるのですが、私は、その技法を使って
「弱ってきてるって感じられるんですね」
と繰り返したとき、その患者さんは


「なんだ、その言い方は!!人のことだと思いやがって!!
 患者の気持ちなんかわかんねぇだろ!!」
と怒りました。



さて、どうしようか。悩みました。
気難しい患者さんという申し送りがあり、
今までも声を荒げることが何度がありました。


自分の発言を詫びようか?
うーん、それもなんか駄目な気がする。


って考えて、ずっと、患者さんを見つめながら、
そばにしゃがんで黙ってました。
そしたら、患者さんがポツリ、ポツリと話始めました。


驚くほど色々話してきて、そして、私の意見も聞かれました。
そして、私の意見を聞いて
「そんなの、あんたが看護婦だからそう思うんだよ。」
とは言われたものの、私の個人の意見も認めてくれました。


最後に私の方から、
「たくさん、お話してくれてありがとうございます。
 たくさんのことを考えるヒントをいただきました。
 ありがとうございます。」
といって、去りました。


話したことをリーダーに報告し、看護診断で
「非効果的コーピング」か「悲嘆」か「自己尊重の低下」
あたりで、介入しましょうって事になりました。



で、翌日、介護体験の勤務でした。
昼食のお茶くみにその患者さんの元を訪れたとき、
お茶を汲み、その場を離れようとした時


「昨日は、色々、ありがとうな・・・・」



といわれました。
その時、あぁ、昨日、逃げなくて良かったと
思いました。


そして、ふと思いました。
寺元松野(シスター松野)の看護をするものに向けた言葉を思い出しました。






「逃げ出したい気持ちが




あってこそ、留まる勇気が




育つ。」